私の指導法・教育観について書いていきます。
私は個別指導も集団指導もやっていますが、どちらがより得意かと言うと、個別指導です。もしくは少人数指導です。 個々人の特徴を見抜いて、それに合わせて教え方を変えることが得意です(先生なら誰でも、個別の方が教えやすい部分はあると思いますが、平均的な先生と比較しても私は個別の方が得意だと思います)。
家庭教師は7年目、集団指導は今年で3年目です。この2つは全く別物ですね。大雑把にまとめると、個別は聞く技術が大事ですが、集団は話す技術が大切。個別は相手のペースに合わせて対話をしていく感じで、集団はこちらの話術で相手を引き込んでいく感じです。
私の個別指導(家庭教師)では添削指導を多く行います。 これが一番効くんだな、と最近改めて実感しています。僕の継続的な指導は、不器用なタイプの生徒と特に相性がいいです。器用なタイプは僕のtwitterとか読んで、役に立つところだけパクればそれで大丈夫なはずです。(以前は、こういうタイプにも継続的な指導をしてしまって、あまり上手くいかなかったことがあります。そこで、来年からは、不器用な人向けの継続指導と器用な人向けの受験相談を別サービスとして展開しようかと考えています。)
添削指導は、答えを教えて終わりではありません。前に個別指導のバイトしていた塾で、他の先生が教えているところを盗み聞きすると、すぐに答えを訂正してしまう先生が多かったです。これは絶対ダメですね。 答えは、授業前に自分で確認しておいてもらうことが多いです。そして、答案を生徒に事前に送ってもらいます(授業時間内で問題演習を行うことはほとんどないです。授業の密度が下がるので)。 添削で聞くことは「何でその答えになったか」とか「自身の答案はどこで考え方を間違えたのか」とかです。模範解答が分かってても、こういう質問をされると、返答に窮する人が多いですね。「分かったつもり」になっているんです。質問攻めにすることで「分かったつもり」をあぶり出すことを目的にしています。答えられなくなるところまで質問を重ねて、相手に無知を自覚させるってやり方はソクラテス風かもしれませんね。 英文解釈や現代文の記述問題の添削を行うことが多いですね。生徒の思考回路が見えやすく、強化全体の実力アップにつながる分野だからです。英文解釈を例に挙げれば、「その構文の取り方(生徒の誤答)だったらどういう訳になる?」とか「その訳(生徒の日本語)をもう一回英語に戻したらどうなる?」といった質問をします。 生徒の間違え方が、指導の何よりのヒントになります。間違いを見ると生徒の思考回路が手に取るように分かります。教師は生徒の頭の中で起こっていることを追体験することが大切です。そして、今度は教師の思考回路を生徒に示して、生徒に追体験してもらうことが大切です。 知識の間違いを指摘するよりも、考え方の間違いを指摘することを重視しています。例えば、生徒の間違いの中から、自動詞他動詞を考えていないがために犯したミスを発見したなら、自動詞他動詞を常に意識するように教えます。このような考え方の癖は、すぐには治らないことが多いです。だから、添削が効きます。しつこく間違いを指摘し続けるのです。そして、私の読み方をスローモーションのような感じで示して、それをなぞらせます。そうやって少しずつフォーム矯正をしていきます。 これを3ヶ月くらい繰り返すと成績が一気に伸びます。
生徒が一人で勉強するよりも負荷が高まるところがポイントです。 ある程度真面目で成績が伸びない学生は、負荷の弱い学習を長時間ダラダラやる傾向があります(日本の労働生産性の低さは受験勉強から始まっているような気がします)。 そこで、授業では質問をたくさん投げかけることで負荷を上げます。僕は、頭は使った分だけ良くなると思っています(勉強時間が長いだけでは意味がありません)。特に、自分の能力より少し上のレベルの課題に挑戦するときに、能力が伸びます。私の仕事は、課題のレベルを生徒の実力より少し上に調整することです。
勉強に限らず、能力を伸ばすためには、フィードバックが必須です。そして、フィードバックが正確で、素早く、一貫したものであれば、尚のこと良いです。 受験勉強になると、自学で適切な振り返りができない学生が増えます。中学の定期テストならば、テスト範囲のプリントをそのまま覚えれば正解できます。ところが、大学受験では演習と同じ英文や評論が出題されることはまずありません。そういう状況で、過去問演習などをしたときに、何をどう反省すればいいか分からなくなる人が結構たくさんいます。フィードバックが働かない状況では、いくら努力をしても能力は伸びません。 スポーツは勉強よりも運の要素が多いから、この点がさらに難しいですね。テニスを例にすれば、さっきポーチに出て点を取られたのは、たまたまなのか、実力なのか、判断する力が必要です。このメタ的な認知ができないと上達は見込めません。 私の仕事は、フィードバックを与えることです。特に、良い間違いをしたときと、まぐれで正解したときに、きっちり指摘することを心がけています。結果論で物事を判断させないようにします。
ちなみに、教員の仕事もフィードバックが働かないです。他の先生の教え方を見る機会も、他の先生に授業を見てもらう機会も少ないです。さらに、教育の成果は短期的な指標だけでは測れないので、自分の教え方の良し悪しが分かるまでには何年もかかります。そして、自分の授業の良し悪し以外に、生徒に影響を与える要因が多すぎるので、どの要素が主たる原因になって伸びて、どれが原因で伸びなかったのか、判断がつきません。また、生身の人間が相手である以上、対照実験も行えません(自分の授業で伸びた生徒に対しても、独学でも伸びた可能性や他の先生の指導でもっと伸びた可能性があることを否定できないです)。 だから、教え方が上手い人は最初から上手いし、下手な人はいつまで経っても下手なままになりがちです。こういうことが起こる仕事は他にも色々あります。ある職の専門家が素人と同程度かそれ以下のレベルの判断しかできないという実験結果もあります(何の職だったか、すぐに調べられないので、「ある職種」とだけしておきます)。 もちろん、各教科の知識が増えれば、教えられる知識は増えます。これは努力さえすれば、年齢と共に伸びていきます。でも、それと教え方の上手さは別問題です。